かぴこと子かぴの徒然日記

読んだ本など徒然なるママの隣で蜩が鳴いているカナカナカナカナ?

おかあさん、なんだと思う…きっと。あたし。

この記事は先のブログ

kiroiro.hatenablog.com

の続きです。

先に「空っぽのおなかに向かって話しかけてそうなイメージ。そう、対象がないんだ。この歌には。
と書きました。

私は、のぶみ氏の作品が抱える問題点の多くは

『作者本人が、だれに向けて書いているのかという対象が見えていない』

という点に尽きると思っています。

 

例えば、この歌を歌うのが子ども番組とは縁もゆかりもない女性歌手で、大人向け歌謡番組で流れたなら、ここまで批判されなかったのではないでしょうか。
大人向けのものだと、ブラックユーモア的な意味合いのものも含め、こういう系はちょこちょこ出てきます。少し前だと「部屋とYシャツと私」(平松愛理)や、「あなただけみつめてる」(大黒摩季)などですかね。もう少し時代を遡ると、演歌の世界にはわんさか出てきます。

のぶみ氏の作品の多くは「大人向け」なんです。
だって、彼は大人(主に母親)をリサーチして、マーケティングして、ブラッシュアップして、作品を作り上げています。*1

今回の歌詞も、FBで募集してから作られたもののよう*2ただ、既に削除済みのFB投稿では
僕としては、あたしおかあさんだから体験できたことを歌詞にしてます、それで僕もおかあさんじゃないから おかあさんたちに聞いたり おかあさんにエピソード募集して作ってます。」
「これは、元々 ママおつかれさまの応援歌なんだ 泣いてる人もたくさんいた」とし、「この歌がそんなダメなのか 自分で聞いてみて欲しい 聞いてやはりダメ、嫌いというならそれでしょうがないし 私は、よかったと感じる人もいると思う」と心境をつづった。」(ハフィントンポストより引用)

となっているのに対し、おそらく当該記事だと思われるFBでは
「【あたし、おかあさんだから】ってガマンしてることある人、コメントしてください」
となっています。*3

リサーチしたり、アンケートをとったり。コメントからインスピレーションを得たりして作品を作ることはあるでしょう。それ自体は何も問題ありません。誤解しないでくださいね。
ここで問題なのは、「エピソード募集して作ってるから僕無罪」じゃないっていうことと、「元々、ママおつかれさまの応援歌で泣いている人もたくさんいた」から良い作品だというわけではない、ということ。そして、最後にこれだけ話題になって、これは子どもに聞かせられない、という声がたくさん上がっているにもかかわらず「聞いてやはりダメ、嫌いというならそれでしょうがない」って切り捨てる人が子どものための絵本を書いてます!有名絵本作家です!って…。それは違うでしょ?

あなたが見ているのは大人でしょ?

 

ところで、この『あたし おかあさんだから』 。Twitterでも「新井素子さんの作品みたい」という声が上がっています。

togetter.com

えっと、あたし、おかあさんです。たぶん、おかあさんなんじゃないかな。おかあさんなんだとおもう。

あたし、おかあさんだから。

たぶん、『おしまいの日』あたりに収録されてそう。『ひとめあなたに…』かな。

おしまいの日 (中公文庫)

おしまいの日 (中公文庫)

 

 

 

ひとめあなたに… (創元SF文庫)

ひとめあなたに… (創元SF文庫)

 

 

新井素子さんの文体はクセがあるので、最初は少し読みにくいと思われるかもしれませんが…。中身はバツグンに面白いサイコホラーでSF作品なので少しでも興味を持たれたら読んでみてください。ここ数年はエッセイ集ばかりなのがちょっと勿体ない…。小説読みたい…。

 

閑話休題

のぶみ氏の作品はそのほとんどが『絵本』と言う体で発表されています。絵本というと子どものものと言うイメージですし、ご本人も『子ども向けの作品』と言っているようですが…。

子ども向け絵本と銘打つならなおさら。子どものほうを向いていただきたい。切にそう願う。 

また、のぶみ氏はインタビューやFBなどでよく「(作品を読んで)泣いてください!」「絶対泣けます!」「泣いてしまったと言う声をたくさん頂きました」と語っています。 

私は…泣くことは悪いことではないと思っています。というか、涙にも種類があって、それぞれがその人にとって必要な涙だと考えています。ですが、泣ける作品だからと言って、手放しによい作品だとは思いません。もちろん、思わず泣いてしまうとても素晴らしい作品もありますが。

少し捻くれた考え方ですが…。「この本泣けます!」と銘打たれた絵本を読み聞かせたとき、そのとおり子どもが泣いたとしたら。読み手はとても承認欲求が満たされることでしょう。気持ちいいでしょうねぇ、してやったり!と思うことでしょう。

でもそれ、いいんですか?
もし、子どもが傷ついて泣いているのだとしても、泣いていたらいい絵本なんですか?苦痛を感じてまで読まなくてはいけない絵本って、子どもにとって必要なんですか?

子どもは大人を感動させたり、大人の承認欲求を満たすために存在するわけではありません。

今までは絵本の世界でしたから、読みたくなければ手に取らなければいい。それで済んでいました。私は問題のある絵本でも、それを必要とする人がいるなら世に出して構わないと思っています。ただ、選ぶほう、特に子どもに本を与える立場にある大人たちは、その子がどういう発達段階にあり、どういう本を必要としているのかを見極める必要があるとも考えています。
のぶみ氏の絵本も、それを必要とする人がいるから世に出回るのでしょう。それを規制することは焚書に繋がります。思想は自由であるべきです。

ですが、この曲は違います。
Huluという動画配信サービスで流れている曲だそうなので、TVとはまた違うのかもしれませんが、公共の電波に乗った時点でいつ何時流れてくるかわかりません。


さんざん、のぶみ氏が…と書きましたが。
のぶみ氏だけが問題なのではありません。もちろん、この曲を作詞したのは絵本作家のぶみ氏。その人です。
でも、なんかしらの必要があって、おそらく要請があって作ったわけでしょう?
それに、歌っているのは元うたのお兄さんの横山だいすけさん。彼は、国立音大の声楽科を卒業したあと劇団四季に入り、さらにそのあとNHKでうたのお兄さんを9年も勤めあげている、いわば歌のプロです。
そんなプロが、譜面や歌詞を読み込みもせずに歌うと思いますか?必ず読み込んでいらっしゃるはずです。プロならそれが当然だから。
その他にも、プロデューサーや演出家など、たくさんの人がこの作品に関わっているはずです。その人たちの誰一人として、この歌詞に疑問を持たなかったのでしょうか?
疑問は持ったかもしれません。でも、それ以上に「あの絵本作家のぶみの作品なんだから売れるはず」で、作られたんじゃないですか?
となると。
たとえ、のぶみ氏が筆を折ったとしても(私はそんなことありえないと思っていますが)、需要がある限り、こういう歌は作られ続けるわけで、さらに言えば「ママがオバケになっちゃった」や「ママのスマホになりたい」「ぼくママとケッコンする!」「あたし、パパとケッコンする!」のような作品は作られ続けることでしょう。

大人のためならそれも構わないと私は思っています。たとえそれが絵本の体をとっていたとしても、それは子どものための絵本ではありません。

子どもは、泣かなくても、特に感動していたり面白がっているように見えなくても、日々たくさんのことを学び、吸収し、成長しています。むしろ、周りからはその成長が見えないことのほうが多いのではないでしょうか?
生まれた、寝返りを打った、ハイハイした、座った…立った、喋った。目に見える変化だけが子どもの成長ではありません。
寝返りしなくても、ハイハイしなくても、その子はその子なりに成長します。
私は、その助けになる存在のひとつが絵本であってほしいのです。
これからも、大人と子どもをつなぐ、より良い架け橋になれる絵本を紹介していきたいと思っています。

ところで。のぶみ氏は「小学校時代にひどいいじめに遭って不登校になり、高校時代には200人近くのチーマーと暴走族を率いる池袋連合の総長として暗躍した時代もあった」そうなんですが…。
それにしては、テレビにもたくさん出られているし、雑誌のインタビューに答えたり、FBページやTwitterなどで情報発信されているのに、同級生だったとか、近所に住んでいたとか。そういう話を聞かないですね。200人もいるチーマーと暴走族を率いていて、逮捕歴も33回(?)あるんだとしたら、そのメンバーが一人ぐらいは名乗り出てもよさそうなものなのに。
専門学校も、日本児童教育専門学校に通われていたそうですが…。そこの同級生という方も見聞きしたことがないし。
ほんと、謎な人ですねぇ…。