かぴこと子かぴの徒然日記

読んだ本など徒然なるママの隣で蜩が鳴いているカナカナカナカナ?

ディズニー文化とジェンダー観

むかーしむかし、別の場所でアップしていた日記の加筆修正デス。
 
なかなかに面白かったので、受けてない人に知ってもらいたいのと、自分のためのまとめ。

まず最初に「ジェンダー」という定義から。
ジェンダー=社会的な性、性差、性別。対するところに、生まれ持っての性(生物学上の性)=セックスがある。
社会的な性、というのは、社会によって形成される性別ということ。
言い換えるなら、性別規範や、性別役割分担。
つまり「女なんだから~」とか「男なんだから~」とかいうのが「ジェンダー」ということになる。
なんで、生物学上の性と社会的な性を分けるのか。
「分けたほうがいろいろ説明しやすいから」
例えば、社会的な性と生物学上の性が一致しない人もいるし。(性同一性障害
一致していても、社会的な性に生きづらさを感じている人もいる。
だから、分けて考えたほうが説明しやすい。

なぜ今、「ジェンダー」なのか。
・生物学的側面に対して、社会的側面(成長していくうえで、社会から身に付けるもの)の重要性を解くため
・マイノリティ(社会的弱者と言い換えても良い)の視点から、これまでの世界観の再構築(再検討)を図るため
 →大まかに考えて、人口の半分は女性なんだからマイノリティじゃない。という意見もあるが、社会を構成している(例えば、政治家やビジネスマン)の多くは男性であることを考えると、女性もマイノリティといって差し支えない。
・マイノリティ視点の重要性を解く
 →男性中心社会、白人・西洋中心社会の再検討
・女性の地位向上のための運動にもつながる

と、小難しい話をしたところで。
「ディズニーのプリンセス・ストーリーにおけるジェンダー観」について語っていきたいと思います。
まず、プリンセス・ストーリーとは、「プリンセスの物語」です。
そのまんまやーん! …だって、それ以上に説明のしようがないもの。
まぁ、ここで取り上げるのは、『白雪姫』・『シンデレラ』・『眠れる森の美女』の3作品です。
今では、ディズニーもいろいろ作戦を練ってきていて、『アラジン』や『リトル・マーメイド』『ムーラン』など、ちょっと系統の違う(どう違うのかは後で)作品も出てきているけれど。
ここでは、古典的なプリンセス・ストーリーを中心に説明していきたいと思います。

まず、『白雪姫』に見られる性別規範について。
・こびとたちによる「女のくせに…」「だから女は…」というセリフが多くみられる(現在、小人は差別用語ですが、いちいち「小さな人たち」とか「小さな妖精さんたち」と書くのがめんどくさいので、ここでは「こびと」と、ギリギリセーフな書き方で説明させていただきます。)
・こびと(男性)は外で働き、白雪姫(女性)は家で家事をする。
などなど

そして『白雪姫』の謎
・王子と一目で恋に落ちる。←まだこびとの下に行く前、お城の外階段らしきところを掃除している白雪姫を王子が見つけ、二人は突然デュエットする。そして、恋に落ちる。
・白雪姫は、王子をひたすら待つ。←自分から探しに行こうとはしない。
・最終的に、白雪姫は生き返り、すぐ王子と一緒になる。←今まで一緒に住んでいたこびとたちのことはまるで無視(一応、おでこにキスをする程度)。

そんなところから、古典的プリンセス・ストーリーについて、定義したいと思います。
・王子と結婚して幸せになる。
・主人公は若く美しい。
・王子は、主人公の美しさに一目で夢中になる。(性格は関係ない)
・主人公は王子をひたすら待つ(自分から動こうとはしない)
・王子は(時には困難を克服し)、主人公を迎えに行く
・二人が結ばれたところで話が終わる。

これ↑が、どういうことを教えているのかというと、
・女性の幸せとは結婚のみである。
・王子と結婚することによって(ひどい言い方をすると、王子の付属物となることによって)、社会的地位が上昇する。
・結婚が目的(ゴール)であり、その後の生活は問題にはならない。
・女性の人生は自分の努力ではなく、運命による。
 →いつか王子様が
 →女性は待つのみでよい
 →女性は受動的であることが推奨される
・女性は、美貌と従順さで評価される
 →美しく(ここでいう美しさとは、西洋的な「可愛らしさ」)従順であれば、王子が現れ幸せになれる

余談ですが。
プリンセス・ストーリーは、あくまでも女の子のための物語なので、男性は没個性化しています。
例えば、王子の性格や顔立ちに明確な特徴はありません。
ひどい場合には、名前すらない場合もあります。
なぜなら、必要なのは「王子」というステータス(地位)であり、キャラクターは関係ないからです。

さて、ここで。プリンセス・ストーリーによって、無意識に刷り込まれると言われる意識「シンデレラ・コンプレックス」について語りたいと思います。
シンデレラ・コンプレックスとは。
・プリンセス・ストーリーによって、無意識に刷り込まれていく意識
・他者(主に男性)への強度の依存
・自分は無力であるという思い込み
・女性は可愛らしく、弱い存在であるべきという思い込み
・女性は可愛らしく、弱い存在であるため、誰か(主に男性)に守ってもらわなくてはいけないという思い込み
の事といってよいでしょう。

プリンセス・ストーリーによって、これらを刷り込まれていくと、どういうことになるかというと…
◆成長しても幼児性に固着するようになる
 (可愛い、保護が必要と思われるのが女性にとって望ましい生き方であると思うようになる)

シンデレラ・コンプレックスの背景にあるもの。
・家父長制的社会
 (家父長制とは、家の中でより年長の男性…多くの場合は、その家庭の父親…を中心に形成される家庭環境のこと。東アジア、ヨーロッパ、北アメリカに多く見られる)
ウォルト・ディズニーの家庭は、典型的な家父長制家庭。
 →イングランド系移民の厳格な父親と、優しい母親を持つ。

つまり、古典的なディズニーのプリンセス・ストーリーとは、「ウォルト・ディズニーによる、家父長制の再生産なのではないか」
ディズニーの古典的プリンセス・ストーリーが作られたのは、20世紀半ば(白雪姫:1937年/シンデレラ:1950年/眠れる森の美女:1989年)。女性に参政権が与えられたり(ディズニーの国、アメリカでは国家によって婦人参政権が認められたのは1920年)して、女性の地位が向上してきたと言われる時代。
女性の地位が向上し始めると、家父長制が崩壊するとも言われている。
家父長制の善し悪しはさて置き、ウォルト・ディズニーは、「古き良きアメリカの家庭」を再生産したかったのではないか?
 
ここまでは、古いディズニー映画を見たり、関連する論文を読んだり、講座を受講したりして学んだ部分。
そしてここからは、私の感想。

この時代のアメリカ家庭(主に主婦)について書かれた本で面白いのが「アップルパイ神話の時代」。
アメリカ人(男性)の好きなものは「ママと星条旗とアップルパイ」と言われているらしい。この本は、そのアップルパイがどうしておふくろの味と言われるようになったのかを紐解きながら、メディアによる洗脳って怖いねー。と、語っている本。
この本によれば「モダンな主婦」というのは、「できる」&「かわいい」の二本柱からなっているとのこと。20世紀の初めまで、中流階級以上のアメリカ家庭では、家事はメイドの仕事だった。それが、1920年代の絶対移民制限方施行と世界恐慌で、メイドを雇うことが困難になった家庭が増え、女性(妻)が家事を代行しなくてはいけなくなったのだという。「モダンな主婦神話」の始まりである。
家事を上手にこなせる女、そして、夫に愛される女、それこそが理想の主婦。理想の女性像。
「おふくろの味を彷彿とさせる美味しいアップルパイが焼ける。すると、夫は大喜び。それこそがあなたの幸せ」と、家庭雑誌をはじめとするメディアが、20世紀アメリカの中流階級以上の白人女性たちを様々な語り口によって、刈り込んでいった。…らしい。

あ。べつに、白雪姫のりんごとアップルパイをかけようとおもってこの本を参考に出したわけじゃないですよ?
ほんとに面白いんです。この本。研究書だから、サクサクッとは読めないけれど。

確かに、言われてみると、ディズニーの古典的プリンセス・ストーリーは、「家父長制の助長」を促しているよな、と思われます。
もちろん、プリンセス・ストーリーを描いているのはディズニーだけではないけれど、その影響力の大きさを考えると、ディズニー、特に、初期のもの…が果たした役割というのは重要だよね。
最近のディズニーアニメ(例えば、リトル・マーメイドとか)では、プリンセス(アリエル)はただ待つのみではなく、自分を犠牲にして王子に会おうとしたりするけれど。でも、最終的には「王子様と結婚して幸せになりました」っていうオチだし。男を立てる・男に尽くすといったエッセンスも随所に散りばめられているわけで…。語り口が変わっただけで、男性が主で女性は従という枠組みが依然としてなされているといっていいと思う。
「アラジン」は、どうなの? 女性の方が地位が高いんだから、(アラジン→一般人/ジャスミン→王女)女性が主なんじゃないの? という意見もあるかもしれないけれど、アラジンはジャスミン姫にとって白馬の王子様、というスタンスだから、これも結局、男性が主で女性は従という枠組みと言えると思う。
 
(注:これを最初に書いたのは、2012年。その当時は『小さなプリンセス・ソフィア』や『アナと雪の女王』などはまだ公開されていませんでした。これらの作品を見てからは、もう少しディズニー映画に対する感想も変わってきています)

だからといって、ディズニーは悪だ! 女の敵だ! とか言っているわけではないです。
実はミッキーマウスはあまり得意ではないけれど、ディズニーリゾートは楽しいと思うし。大好きです。
ショーの出来栄えだってすごいと思う。
ただ、「女の子はみんな、ディズニープリンセスが好きだよね」みたいな決めつけはナンセンスだと思います。
いや、プリンセス、素敵ですよ。でも、「いつまでたっても『女の子』扱いで、『女性』に成長させたくないという意識が働いているのはダメ」だよね。と。
女性自身が「プリンセスでいたい」と思うのと、周囲が「プリンセスでいさせたい」とするのは別。
 
日本は戦う女の子(主体性を持って、自分自身で問題を解決する物語)が多い国だから大丈夫だよ! というあなた。「女の子」というのが問題です。…という話もしたいんだけど、長くなるのでまた今度~。